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2026 GROUP82展 感想  坂場和仁

5月15日、大崎のO美術館にて34回目を数えるGROUP82墨画展を観覧した寸感を書き留めておく。

 昨年までは観覧者の動線に配慮し、回游性に重きを置いた会場構成。ぐるりみてまわるぶんには都合が良かった。今年はコの字形に分割した幾つかのブースがゆるく連結されたかたちに展示の趣向が凝らされ、以前よりもしっかり、ゆっくり、一つ一つの作品と向かい合えた気がする。

 公募展や大規模なグループ展では、ひとつの展覧会で観る作品数が多く、どうしてもパッとしたインパクトの強い作品に眼が留まりがちになる。自身も例外なく、以前までの墨画展に対してもそうだったかもしれない。観覧後もダイナミズム溢れる作品ばかりが印象に残っていた。だが今年は違った。展示の仕方だけが理由ではないだろうが、一作一作としっかり対峙した今展においては、第一印象の鮮烈さではない部分で作品と交感できた実感がある。紙幅の都合で限られるが、以下特に印象深かった作品に触れたい。

 

松下黄沙《水芭蕉の声が》の拓く新たな画境

 画面を縦横に走る大胆な墨の律動によって、写生を超えた生命の声を体現する本作は主宰・松下黄沙による意欲作。松下氏といえばステンドグラスのごとき緊張感漲る直線によって構成された理知的な作が想起される。濃墨の強い筆跡による画面分割は、さながら万華鏡の如き複合的世界を表してきた。しかし本作では決して伝統回帰という単純な揺り戻しではなく、その前衛性が、豊かな墨調によって新たな広がりを見せているように感じられたのである。美しい墨の濃淡は山水画を思わせる広がりを持ち、目に見えぬ花の声や時の流れまでをも五彩に秘める。その自然への緻密なまなざしには、四条派・木島櫻谷の存在を伏流水としながらも、写実からの解放を真摯に深め続けた飽くなき墨への探究心が。そしてモチーフを激しい筆致の抽象へと解体する手法には、書画一致を唱えた師・内山雨海の精神がこだましている。  

 リズミカルな墨と白の見事な構成美を抱く本作を注視すれば、伝統的京都画壇の写実性を基礎に据えながら写実に甘んじることを良しとせず、単純化と省略の果て雨海流の極めて抽象度の高い墨芸術へと解体/昇華され、視覚的な静寂を内包したまま水芭蕉の息吹が激しく明滅しているではないか。本作は、過去の巨匠たちの自然観を継承しつつも現在を真摯に生きる画人の魂を映しているように見えた。常に現代性を意識し続けてきた松下氏による新たなる近代水墨の地平を切り拓く野心作である。

 

 

西部紅芽《アカンサス》にみる独自の美意識

 金地を背景に据えることで、モチーフの輪郭とマッスを明瞭に際立たせる本作には、西部氏の揺るぎなき美意識、高潔な品位が見て取れる。ダイナミックな現代水墨の精神を継承しつつも、独自の美学を展開しているところが好ましかった。濃墨による力強い葉の表現とは対照的なアカンサスの花が放つ光を孕んだかのような静謐な「白」の際立ちには、装飾性と写実性を融和させたモダンな気品が漂う。大胆さと古典的な気品を調和させた次代の水墨の可能性を示す秀作である。

 

 

小林順子《絆》が紡ぐ多面的な息遣い

 意図するところは簡単には掴めなかった本作ではあるが、3つの異なる画面を並列させることで、一筋縄ではいかない多面的な生命の繋がりを表現しているのだろう。左の簡潔でモダンな線画、中央の色彩と掠れが交錯する抽象的な自然、そして右の伝統的な水墨の潤みを感じさせる民族衣装のような人物。これら一見異なる動機から描かれた絵画が並ぶのを前に、なぜにこれほど気が引かれるのか。単なる個々の習作の羅列ではなく、異なる筆致やアプローチが並び立つことで響きあう、目に見えぬ「絆」という複雑な関係性を可視化させるためか。静と動、具象と抽象の境界を軽やかに行き来する、構成力に富んだ知的な秀作である。

 

 

Roebuck恵子《避暑旅》に響く旅情

 本作は旅の記憶を綴った「言葉」と、鮮烈な「水墨」を並置した視覚と聴覚を揺さぶる作品。

旅の情緒を静かに伝える左のテキストから一転、右の画面では炸裂する花火のエネルギーが激しい筆致と飛び散る飛沫によって圧倒的な迫力で描き出される。静かな旅の叙情と、内なる衝動の爆発。この対比によって、まさに「花火から音は聞こえているだろうか」という問いが、観る者の心に響き渡る。在りし日、諏訪湖の花火を遠く眺めた夏の旅を憶い出した。

 

 

文/坂場和仁

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